大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)7338号 判決

原告

渡邊富生

右訴訟代理人

池内勇

被告

斎藤富郎

山本恵子

右被告両名訴訟代理人

秀平吉朗

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一、二、三〈省略〉

四以下、請求原因4の各事実(山本均の責任)について判断するに、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  山本均は、昭和四五年ころから大阪市内の画廊に営業担当として勤務した後、同四七年六月ころから独立して美術品商を始め、同年一二月二二日、有限会社組織の訴外会社を設立し、代表取締役に就任したが、同人以外の発起人(被告両名他三名)、会社役員(被告両名他一名)はいずれも名義を貸与しただけの名目的存在にすぎず、山本均が訴外会社の経営全般を一手に掌握していたもので、訴外会社の営業の実体は、山本均のいわゆる個人企業であつた。

(二)  訴外会社は、取扱商品の大半を、高度の専門的知識を必要とする反面、高額で旨味の多い日本画とする絵画取引を主として行ない、会社設立当初は、絵画ブームに乗つて比較的順調に営業を続けていたが、昭和四八年ころの絵画価格の暴騰とそれに続く昭和四九年以降のブーム後の客離れによる絵画価格の暴落により、一時四〇〇〇万円の欠損を出すほどきわめて業績が悪化した。そのため、訴外会社は、昭和五一年以降、業績を回復させるべく、金融機関からの長期資金の借入れや顧客の援助等を受けて積極的に販路の拡大と取扱い商品の高額化を行ない、毎年、年間六億円前後の取引をなしたが、欠損金を完全に解消するまでには至らず、昭和五〇年度以降の累積赤字が常時三〇〇〇万円前後あつた。

(三)  ところが、昭和五三年一一月末になつて、顧客に売却していた絵画の代金二五〇〇万円が、その支払期限になつても支払われない(最終的に全額入金されたのが、昭和五四年四月二〇日)という事態を生じ、その急場をしのぐため手持ち商品を仕入値以下で売却(ダンピング)して資金を調達せざるをえなくなり、その結果、赤字が相当拡大したうえ、その損失を回復すべく、同じ顧客に絵画五点を売却したところ、全点返品されてしまい、この返品によつて約一二七〇万円の損失を被り、訴外会社が、日本画廊に代金二五〇〇万円で売却していた岸田劉生作の絵画が、昭和五四年四月一五日の代金支払期限ころになつて返品され、これによつても約一〇〇〇万円の損失を被る事態が続いたうえ、昭和五四年六月二三日になつて、銀行への決裁資金の入金について事務的な手違いから、訴外会社は、額面一〇〇〇万円の小切手の不渡を出し、同小切手が翌日決済されたものの、右不渡りのことが業者仲間に知れわたり、訴外会社の経営危機が噂となつたため、それまで月商五〇〇〇万円前後あつた取引高が一時月商一〇〇〇万円程度に落ち込み、そのため手持商品のダンピングが次のダンピングを必要とする自転車操業経営に陥り、本件(一)売買がなされた昭和五四年一〇月初めころは、訴外会社の負債が八〇〇〇万円程度に達していた。

(四)  山本均は、昭和五〇年ころ、同業関係者として原告と知り合い、原告に対し、商売に必要な知識、情報を提供したり、その一身上の問題に助言したりして、商取引の内外の場面で親密な交渉関係を持つていたが、訴外会社が前判示の苦しい経営状況下にある際、原告から本件(一)の売買の後、高額な本件(二)の絵画の商談を持ち込まれた。山本均は、本件(二)の絵画を買受けるに先立ち、同絵画の売行きについての打診を東京方面の二、三の同業者にして、代金二三〇〇万円か二四〇〇万円ぐらいあれば、転売できるとの大まかな感触を得るとともに、かねてから自己の後援者的な立場にいた今村浩に、右絵画が転売できない場合には、同人にこれを買取つてもらうか、あるいは、必要資金の援助をしてもらえるように交渉を開始し、同人からそれについて考慮してもよい旨の一応の返事を得たうえで、原告と本件(二)の売買の契約を締結した。原告は、本件(二)の絵画を、丸栄百貨店から昭和五四年一〇月三一日までの期限で転売価格を二〇〇〇万円以上(二〇〇〇万円を超える分は原告の利潤)とし、転売できた場合の原告の右百貨店に対する二〇〇〇万円の代金支払期限を同年一二月一〇日と定めて転売のため預つたものであつたため、山本均との本件(二)の売買の後まもなくして、山本均に対し、右絵画の代金を早期に支払つてくれるように要請するとともに、右絵画について、山本均の方で同年一〇月三一日までに適当な買手が見つからず、転売できなければ、無理をせず原告に返却してほしい、右返却については、原告は山本均に対し損害賠償の請求をなさない旨申入れ、山本均も、右後者の申入れを了解していた。

(五)  原告から本件(二)の絵画を代金二二〇〇万円で買受けた山本均は、これを在阪の顧客や東京方面の同業者に持ち込み、三〇〇〇万円ないし二四〇〇万円の売値で転売すべく交渉したが、当初の予想に反して、右絵画については、一五〇〇万円という買値がついたのみで、それ以上の価格による買手が得られず、たのみとしていた今村浩にも絵柄が好みに合わないことを理由にその買取りを断わられ、また、同人から必要資金の援助を受けるという話も一向に進展をみなかつたうえ、当時、至急に決済を必要とする債務が存しその決済のために現金を特に必要としたことや、当時、他の同業者から富岡鉄斎ほか一点あるいは、青木繁の絵画の取引の引き合いがかかつており、山本均自身においてそれら新規の取引によつて七〇〇万円程度の損失は取り戻せるとの一方的な期待を抱いていたこともあつて、本件(二)の絵画を昭和五四年一〇月二九日ころ一五〇〇万円で転売し、そのころ右転売代金を右債務の決済にあてて費消した。山本均が期待をかけていた右新規の取引は、当時、単にその引き合いがあつたというにとどまり、それらの取引の交渉にも入つておらず、具体的内容は、何ら煮つまつていなかつた。その後、山本均は、右新規の取引についての交渉を開始したが、何ら進展をみないままに立ち消えとなつた。

(六)  本件(二)の絵画の転売ころには、訴外会社において、在庫商品等の資産がわずか六〇〇万円程度であつたのに対し、負債が一億円近くに達していた。山本均は、右転売以降、訴外会社の経営を立て直すために、金策や新規の取引のために奔走したが成功せず、結局訴外会社は、昭和五四年一一月二九日第一回目の、同年一二月三日、第二回目の各不渡りを出して倒産し同月五日自己破産の申請をなした。

以上の認定事実によれば、昭和五〇年以降約三〇〇〇万円の債務超過の状態を続けながらも、年間約六億円の取引高を維持してきた訴外会社は、昭和五四年に入つて急速に経営内容が悪化し、本件各取引当時には取引高が激減し、資金繰りに追われて、手持商品のダンピングを続けざるを得ない状態で、負債額が累増していたのであるから、この事情を知悉している山本均としては、本件各取引により原告に対して負担した各債務を約定どおり履行することが極めて困離であること知つていたが、少なくともこれを容易に知り得たところと判断され、その限りでは、山本均が本件各取引に入つたことについては、訴外会社の経営者としては慎重さを欠く安易な行動であるとの非難を免れることはできない。しかしながら、これも前記認定事実より認められるとおり、本件各取引当時における訴外会社の負債額の大半は、昭和五四年に入つてからの、しかも山本均にとつて不測に近い事故に原因するものであり、それ以前にあつては、山本均は、毎年赤字決算であつてもブーム後の価格暴落の時期を乗り越え、赤字幅を拡大させることなく訴外会社の経営を維持してきたものであるから、同人の訴外会社経営の一般的な姿勢に格別の欠点があつたものとは考えられないうえに、本件各取引においても、右取引当時の訴外会社の前判示のような状況下ではありがちな、急場凌ぎのために欠損を見越して取引に入るという事情は認められず、却つて高価な本件(二)の絵画を買い受けるに当つては、予め、十分な転売利益の獲得を図つて奔走し、これが可能であるとの感触を得ているのであるから、山本均としては、本件各取引をすることにより、訴外会社における取引規模の回復を図るとともに、転売利益を確保して訴外会社の経営内容を改善しようとしたものというべく(このことは同人が証人として証言するところでもある。)、同人のこの企図は、美術品取引の特殊性(個性ある高価な商品を対象とするところから、商品や顧客についての知識、経験を活用することによつて、個々の商品の取引につき多大の利益を期待できる場合が少なくなく、このことは、証人山本均の証言に弁論の全趣旨を併せて認めることができる。)と前判示のような従前の同人の訴外会社経営の姿勢との兼ね合いで、それなりの合理的な根拠を持ち、一概に原告のいう賭博的取引を図つたものとみることは酷に失するものというべく、そうすると、山本均が本件各取引に入つたこと(各契約の締結)をもつて、同人に悪意又は重大な過失による訴外会社代表取締役としての任務懈怠行為があつたものとみることは、困難である。ただ、山本均は、昭和五四年一〇月二九日ころ、予定した転売ができなかつたためとはいえ、前判示の訴外会社の経営状況下において、売買代金を一方的な期待のもとに他用に充てる意図をもつて、仕入値二二〇〇万円の本件(二)の絵画を一五〇〇万円で転売したことは、明らかに同人の悪意による任務懈怠行為であり、またこれと原告の本件損害のうち右絵画の代金分の二二〇〇万円の損害との間の因果関係も肯認できるから、山本均は、原告主張の本件損害のうち本件(二)の絵画分の二二〇〇万円の損害につき訴外会社の代表取締役としてその賠償責任を免れることができず、その余の損害についての同人の責任は、これを認めるに足る証拠がない。

五そこで被告らの責任の有無について検討する。

1  訴外会社は、昭和四七年一二月二二日、絵画、陶芸品等の売買等を目的として設立された有限会社であり、代表取締役の定めがあつたことは当事者間に争いがなく、山本均が訴外会社設立以来破産申請に至るまで代表取締役として訴外会社の経営全般はもとよりその主たる営業内容である絵画取引全般についてもこれを一身に引受け、訴外会社すなわち山本均個人という関係にあつたこと、被告らは、いずれも訴外会社の設立時に山本均に頼まれて発起人に名を連ね、設立後はそのまま取締役に就任することが承諾していたが、いずれも名目的なものにすぎず、被告両名が右取締役就任を承諾したのは、被告山本が山本均の妻であり、被告斎藤が被告山本の実父という親族関係にあつたこと(この点は当事者間に争いがない。)によるものであることは、前示認定の事実から明らかである。

2  〈証拠〉には、訴外会社の自己破産申立について、昭和五四年一二月一日、取締役会が開催され、山本均及び取締役である被告両名が出席のうえ、全員一致の決議がなされた旨の記載があるが、〈証拠〉によれば、訴外会社は設立以来破産までの間に取締役会を実際に開いたことがなかつた事実が認められ、〈証拠〉によると右訴外会社の破産申立について、山本均と被告ら間で何らの話し合いもされなかつた事実が認められ、これらの事実からすると前示取締役会議事録(甲第八号証の五)の存在することをもつて、訴外会社に定款若しくは社員総会決議による取締役会が定められていたことを推認することは難しく、他に、訴外会社に取締役会制度が存在したことを認めるに足りる証拠はない。

3  〈証拠〉によると、訴外会社は、被告斎藤から同人所有のビルの一階及び三階部分を賃貸し、一階を画廊として、三階を事務所兼山本均の自宅として使用し、同社の主たる業務である絵画の仕入、販売等の渉外活動は山本均とその実弟である山本健之輔が担当し、画廊の来客の応待等は従業員の西畑某が行つていたこと、被告山本は、山本均が以前勤務していたカワスミ画廊に、同じ時期に店員として勤めていたこともあつて絵に関心はもつていたが、同画廊は訴外会社と違つて洋画を専門に扱つており、同被告と電話番とお茶くみ程度の仕事しかしておらなかつたこと、被告山本は、山本均から訴外会社の経営に口出しすることを当初から禁じられており、昭和五四年一〇月当時は、身重のうえに育児に追われて家事に専念しており、訴外会社の従業員が不在のとき一階の画廊の電話番等を手伝うにすぎなかつたこと、また被告斎藤は、鉄工会社を経営し、その業務に専念しており、これまで山本均に頼まれ訴外会社に事業資金を融資してやつたり、訴外会社が国民金融公庫から融資を受ける際に保証人になつてやつたことはあつたが、いずれも、山本均から事業がうまく行つており、これを伸展させるためと言われ、同人が娘婿であるということから気軽にこれに応じていたものであつたこと、同被告は訴外会社のあるビルの管理人室で、月に一、二回立寄ることがあり、その際に、孫の顔を見るため訴外会社の事務所を兼ねていた山本均宅を訪れることはあつたが、訴外会社の経営について山本均との間で話をするようなことはなかつたこと、むしろ、山本均は、訴外会社の経理面については、訴外会社の監査役で税理士の実父山本万寿夫や国税局に勤務する実弟の山本武に相談し易い立場にあつたこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

4 ところで、定款又は社員総会の決議により複数の取締役の一人を代表取締役に選任するが、他の取締役について取締役会の構成員となる旨の定めのない、すなわち、取締役会の設置されていない有限会社の取締役会においても、例え名目的なものであつたとしても、就任を承諾している以上は、代表取締役のなす会社の業務執行が会社の利益に合致すべく適正になされるように監視すべき義務を会社に対して負つているものと解すべきであり、ただ、右監視は、会社の経営内容について一般的に監督するをもつて足り、特に問題が起るというような事態が容易に予見できるという特段の事情が無い限り、日常の個別の業務執行行為について事前にこれをチェックすべき義務までも負うものではないものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、前示のとおり、訴外会社には取締役会が認置されていたものとは認められず、前示認定の山本均の本件任務懈怠行為は、訴外会社のなす日常の取引行為そのものであることは明らかであり、前記1ないし3の事情の下では、被告らにおいて右山本均の任務懈怠行為である本件(二)の絵画の売却行為についてこれを支前にチェックすべき特段の事情が存在したものとは認められず、結果、被告らには、有限会社の取締役としての職務を行うについて悪意又は重過失があつたものということはできない。〈以下、省略〉

(井上清 宮城雅之 田近年則)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例